“富栄養化の抑制”と“豊かな生態系の回復”に関わるパラダイム転換―生態系モデルから見た閉鎖性海域修復の方向性― (1/3)
1.はじめに -“再生”のための“修復”方法-
水質汚濁が未だ深刻である閉鎖性海域においては、再生の目標とそのための施策が、湾域毎の再生推進会議等で検討される中、水質の「きれいな海」だけでなく、豊富な生物が生息する「豊かな海」の再生が、各湾域共通の目標として重視されつついる1)、2)、3)。“再生”である以上、それは過去にあったはずのものであり、それが失われた過程、その復活に向けての障害、障害を除くことによる内湾再生の行方を把握することが重要であろう4)。本稿では、これらを予測・評価する目的で開発された内湾複合生態系モデルによる東京湾での解析を踏まえながら、内湾環境の修復の方向性を議論する上での論点を展望する。
2.内湾環境の見方 -正のスパイラルと負のスパイラル―
一連の富栄養化問題を考察する上で重要な視点を整理する。図1右は、干潟・浅海域の創生が、貧酸素化の改善、赤潮の軽減の過程を介して、「豊かな海」再生へと繋がる一連の生態系連鎖“環境改善スパイラル(正のスパイラル)”の一例を示している5)、6) 。一方、干潟・浅海域の消失は、この逆向きのスパイラル“環境悪化スパイラル(負のスパイラル)”を駆動している可能性がある(図1左)。なお、図1から明らかなように、こうしたスパイラルは、干潟・浅海域―湾央域、浮遊系-底生系間の相互作用、あるいは、干潟・浅海域、湾央域それぞれにおける浮遊系、底生系内部の生物・化学・物理過程から成り立っている。
3.環境改善施策の狙い
1) “対症的改善方法”と“抜本的改善方法”
スパイラルの観点から、流入負荷(流入栄養塩)削減、覆砂、浚渫、干潟・浅場域(藻場を含む)創生といった施策を整理すると、流入負荷削減、浚渫、覆砂といった施策は、干潟・浅場域(藻場を含む)創生とは、その狙いが本質的に異なる7)。つまり、流入負荷削減、浚渫、覆砂は、それぞれ“植物プランクトンの増大過程”、“プランクトン死骸の海底への沈降・堆積過程”、“海底酸素消費量の増加過程”といった、環境悪化スパイラルを形成する過程から、生態系を回避(スピンアウト)させることにより、閉鎖性海域が負のスパイラルに陥るのを抑制・停止させることを狙った施策であるのに対し、干潟・浅海域創生は、干潟・浅海域を人工的・土木学的に創生し、そこに生物を自律的に定着・蘇生させ、埋立により失われた干潟・浅海域が持つ生物機能を回復させることで、環境改善に向かう駆動力を自律的に促進させ、負のスパイラルと逆向きのスパイラル:環境改善スパイラルを発生させる、という発想に基づくものである(図1右)。環境改善スパイラルを促す干潟・浅海域の創生は、云わば、環境悪化スパイラルに対する“抜本的改善対策”、これに対し、環境悪化スパイラルを抑制・停止させる、(1)流入負荷の削減、(2)浚渫、(3)覆砂は、環境悪化スパイラルに対する“対症的改善対策”とも見なせる (注:流入負荷の削減及び浚渫・覆砂は、富栄養化に対しては、対症的改善対策ではなく抜本的改善対策である。また、富栄養化を抑制することで、環境改善スパイラルが発生する可能性もあり、もしそうであれば、流入負荷の削減及び浚渫・覆砂は、環境悪化スパイラルに対する抜本的改善対策とも成り得る。)
2) “富栄養化の抑制”と“豊かな生態系回復”
栄養塩(窒素、リン)の循環という観点から整理すれば、流入負荷削減、浚渫、覆砂といった施策は、有効利用できない過剰な栄養塩を閉鎖性海域の外部(系外)へ輸送する手法である。これに対し、干潟・浅海域創生は、豊かな生態系を回復させることで、栄養塩を高次の多種多様な生物に同化させ、海域内で有効利用できる栄養塩量を引き上げる手法である。すなわち、流入負荷の削減、浚渫、覆砂は、“富栄養化の抑制(栄養塩削減)”を第一目的とした施策、干潟・浅海域の創生は、“豊かな生態系の回復(栄養塩の有効活用)”を第一目的とした施策ということができる。

図1. 環境改善スパイラルと環境悪化スパイラルの例
スパイラルは、干潟・浅海域-湾央域及び底生系―浮遊系の時空間的連鎖から成り立っている5)、6)

図2. 冬季播磨灘における“大型珪藻の発生”と“二枚貝”の関連性
二枚貝(ウチムラサキ)の存在により、大型珪藻赤潮発生の抑制、貧酸素化の改善につながる作業仮説:モデル構築における作業仮説。 (作成:みずほ情報総研 (2005) )11)
4.世界の先駆け8)、9):内湾複合生態系モデル
これまで述べてきた一連の生態系連鎖のメカニズムと行方を評価するには、内湾全体を(a)干潟・浅海域生態系-湾央域生態系、及び、(b)底生生態系―浮遊生態系が時空間的に連鎖した複合生態系として扱い、各生態系内部の生物代謝を機構的(メカニクス的)に表現する必要がある。また、生物の生息環境やスパイラルの駆動に大きな影響を与えうる貧酸素の改善と悪化を正確に評価するには、(c)底生系の鉛直微細構造を表現する必要がある。なぜなら、底生系での酸素生成・消費は、湾全体の酸素動態に与える寄与が大きいと同時に、鉛直方向数ミリ内で急激に変化するからである。内湾複合生態系モデル(英名:ECOHYM:Ecological Connectivity HYpoxia Model、和名:雑俳は、(a)、(b)、(c)を同時に達成した最初のモデルである8)、9)。モデルの詳細は引用文献を参照されたい(“ECOHYM” はEcological COnnectivity HYpoxia Model”の略。 また、“雑俳”は、江戸文学の一つである、“雑俳”10)から著者が名付けた。)。
5.モデルの適用と検証 -東京湾の例―
内湾複合生態系モデルの播磨灘、三河湾への適用は現在実施中11)、12)であり(図2)、その解析結果については当日いくつかご紹介することとし、本稿では、すでに解析が行われた東京湾への適用例を紹介する。
まず、現状の東京湾における平年的な季節変動(1年周期性の変動)をcontrol計算 (基準計算)として計算し、この計算をモデルの検証、及び、施策効果など生態系応答を評価する基準とした。control計算では、流動モデル、生態系モデルの外生変数を1年周期関数で与えた。この周期関数は、過去数年間のデータより平年的な季節変動状況を表現したものである。水平空間分解能は、流動モデルでは2km×2km格子で、生態系モデルでは26ボックスで東京湾を区分した7)、8)、9)。底生生態系内部の鉛直分解能についてはマイクロミリメータースケールの空間分解能とした。
モデルの検証は、湾央域、干潟・浅海域における各モデル変数の観測値と計算値を比較し、再現性を確かめることで行った。計算値は、浮遊系-底生系、湾央域-干潟・浅海域が互いに依存しつつ、自律的に相互作用した結果である。例えば、浮遊系-底生系境界付近の栄養塩濃度の計算値は、浮遊生態系で生成された有機物が海底に沈降・蓄積し、底生系で無機化されて、栄養塩が浮遊系へ回帰するというメカニズムをモデルで表現した結果から得られており、浮遊系-底生系間には、なんら強制関数(境界値)を与えていない。このことは、モデルの制御を難しくし、モデルが観測値の再現を満足させるには、浮遊系のみ或いは底生系のみを取り扱っているモデルには無い、新たな条件が必要となる。すなわち、“浮遊系、底生系それぞれの状態によって自律的に決定される浮遊系-底生系間の相互依存関係が正しく表現されている”という条件をモデルが満たしていることが必要である。この論理は、干潟・浅海域-湾央域間の相互依存性についても同様である。このような条件のもと、内湾複合生態系モデルは、すべてのモデル変数において、季節変動、日変動、鉛直プロファイル、水平分布をほぼ良好に再現した6)、8)、9)。
- *本稿は、水産工学 Fisheries Engineering Vol. 46 No.2, pp.155-162, 2009に掲載されたものです。(一部改変)
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