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先頭を歩く ―CO2削減2050年目標に思う―

2017年1月10日 プリンシパル 瀬戸口 泰史/環境エネルギー第2部

突然だが、「先頭を走る」と「先頭を歩く」。どちらが厳しいことなのか。感じ方には個人差があるのだろうが、私は「歩く」という方により緊張を感じる。

「先頭を走る」とは、皆が同じ方向、ゴールを認識し、いかに早くそこに辿り付くかを競っているのであろう。一方で「先頭を歩く」には、その向かう方向に対する普遍的な保証や価値の共有も曖昧ななかで、信念をもって一定の方向に後続者を牽引する姿を想像する。当然のこととして受ける風も強かろう。

昨年末に発効したパリ協定だが、日本の目標は温室効果ガス(CO2)排出を2030年に▲26%、2050年には▲80%というものである。これについては随所で解説されているので深くは記さないが、この問題に対してのわが国のスタンスが、私にとっては極めて不安である。気候変動への対応についても当然だが、それよりもわが国の経済・産業、国民生活への影響という面での不安が大きい。

2030年の▲26%に向け、効率向上による省エネ、再生可能エネルギーの活用推進など、これまで同様(「これまでにない」、と書くべきだろうが)積極的な施策が掲げられている。技術的、コスト的、行政的なハードルは低くないが、感覚的には、頑張れば今の努力の延長線上にゴールが見える気がしないでもない。しかし、▲80%ともなれば延長線云々どころの話ではない。全く別の世界に行け、という数値である。全く別の社会になるのである。

風力発電で○%、バイオマスで○%、IoTで○%などいった数字の積み上げで描ける世界ではない。足りない分を原発で補うなどという曖昧な青写真では2030年から2050年に至るギャップは乗り越えられないであろう。原発を使うなら使う、使わないなら使わない、あるいは水素の役割は○○だ、などと、国として将来に賭ける方向感をしっかり提示したうえでの各論が本来求められるのではなかろうか。方向が定まれば、放っておいても産業や技術はそちらに向けて走り出すはずである。現状プラスαの玉虫色の政策方針しか見えないからアプローチが百花繚乱、大胆な意思決定もなされない。IoTに然り、残念ながら産業のトレンドはいつも彼岸からの輸入が基調である。黒船が来ないと動けない。

欧米(の有力企業)は、すでに脱炭素化(CO2を出さない社会)が極めて大きな潮流である、という認識に至っているように思える。トランプ氏が率いることになる米国であってもそうだ。もちろん、今は安価な石炭、便利な石油に依らないと多くのビジネスは成立し難い。恐らく来年も、その翌年もそうであろう。しかし、だからと言って長期間それに頼り続けることは極めてリスクが高いこと、また言い換えれば脱炭素化にこそ将来のビジネスがあることに世界は気がつき、納得し、それへのシフトが始まった、というのが2015年、2016年に対する私の解釈である。たまたまパリ協定の合意、発効がそれにシンクロしたのではなかろうか、と思っている。

このまま、日本が現状プラスαの歩みで動いていったとしても、豊かな国からの脱落シナリオしか見えて来ないのではないか。一定の富と技術の蓄積があるうちに的を絞った新たな挑戦を始める必要があろう。今求められるのは、進むべき道の提示である。安全保障、エネルギー、産業、環境汚染対策などなど、それぞれが各論の施策で導いても未来がない。諸条件を徹底的に検討し、諸現象を捨象した大方針、すなわち安売りでない本物の「骨太の政策」が求められている。

封建時代とは異なり、庶民が政治に容喙してはならぬという時代ではない。とはいえ、近視眼的な価値観のみの思いがネットを通して拡散し、一定の世論となってしまう、やりにくい時代であるのも事実である。所詮、万民が納得する政策などはありはしない。誰しも神ではないから絶対的な未来なども示せるはずがない。それでも信念をもって国が歩くべき道を示して欲しいのである。政治家は先頭を歩くことが大きな仕事であろう。その後は優秀な国民が、優秀な産業が先を争って走り出す。

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