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人類とAIが切り開く未来

2018年1月9日 情報通信研究部 永田 毅

1800年代のヨーロッパでは、病院で妊婦が産褥熱(さんじょくねつ)で亡くなることが多かった。自宅で産むよりも、設備の整った病院で産む方が、妊婦の死亡率が圧倒的に高かったというから驚きである。

ハンガリー生まれの若い医師イグナーツ・ゼンメルワイスは、このことに疑問を持ち、自分が勤務する病院のデータを徹底的に調べあげた。すると、助産師が詰める病棟に比べて医師が詰める病棟の死亡率が2倍以上高いことが分かった。患者はランダムに両方に割り振られていたため、病状の重い人が医師に集中するわけでもなかった。

さらに調べたところ、助産師は手を洗っていたのに対して医師は手を洗っていないことが分かった。つまり、妊婦は汚染された医師の手によって病原菌に感染していたのだった。当時は病原菌の概念がなかったのである。ゼンメルワイスは、医師全員に塩素水で手を洗うことを命じ、病院の死亡率は数10%から数%に激減した。

ゼンメルワイスは他の病院の医師達にも消毒の重要性を説いて回った。しかし、そんな彼を嘲笑が待っていたのである。消毒は当時の医学の常識外であった。また、この説を認めてしまうと、医師自身が患者を死亡させていたということになり、それが多くの医師にとって受け入れがたい事も彼の悩みをより深いものにした。

当時、医師は神聖な職業だと思われており、医師の権威の前に患者が委縮してしまうことが原因ではないか、というような説が大真面目に議論されていた。他の病院の医師にも粘り強く消毒の重要性を説く彼は煙たがられ、笑いものにされ、その間にも、救えたはずの妊婦が亡くなり続けた。やがてゼンメルワイスは精神を病み、精神病棟に押し込められ、入院2週間後に亡くなってしまうのである。

現代の我々は、ゼンメルワイスが正しかったことを知っている。そして、ゼンメルワイスを批判した医師達を、愚かだと感じる。しかし、筆者は、「神聖な職業」を自認した医師を笑うことはできない。この一件は、現代の我々にも、とても重要な示唆を与えていると思うからである。

古来、人間の直感・「こうあるべき」「こうだろう」という期待は裏切られ続けてきた。

夜空の星々はどう見ても地球の周りを回っているが、天動説は間違っていたし、ミクロな粒子の振る舞いは、野球のボールとは全く異なる奇妙な振る舞いをするし、挙げ句の果てに、時間の進み方さえも、どこでも同じではないということが分かってきた。

自然を丁寧に観察しデータを蓄積していくと、従来の説では説明できない矛盾があらわになり、新しい説を持ち出さざるを得なくなる。 こうしたことの積み重ねで自然科学は発展してきた。だから、自然科学の研究者は、なるべく予断を持たないように、謙虚にデータと向き合う姿勢が大切である。

理論はどこまで進歩しても嘘をつくが、データは嘘をつかないからである。

もちろん、自然科学だけではない。経済や社会についても、データ第一で考えるべきである。しかし、こと、人間が関わる事象に関しては、まだまだ「こうあるべき」という考え方が根強いように思う。人々は、データよりも、説得力のあるストーリーに惹きつけられるものだからだ。

私達にありがちな、「こうあるべき」「こうだろう」という思想や前提は、議論の切り口としては必要なものだが、それを絶対視してしまうと、無駄や弊害を生んでしまう。原理主義的な考え方が、どれだけ世界を混乱させていることだろう。

筆者は、AIの研究開発に従事しているが、今AIによって起こっている様々なイノベーションは、まさに、こうあるべき、というルールベースシステムから、データドリブンシステムへの転換が起こっているのだと思う。生命現象や人間社会は様々な要因が複雑に絡み合うため、人間が考案した理論やモデルですべてを説明することは難しい。AIが最適化したデータドリブンな処理は、人間の主観や前提が排除されているため、人間が考えた理論や前提の限界を超えることが可能なのだと考えている。

筆者は、AIによるシンギュラリティ(AIが人間の知能を超える)については懐疑的だが(今のAIは統計解析に過ぎず思考できない)、前述した理由で、社会を大きく変革する可能性があると思う。

残念なのは、ディープラーニングに代表される今のAIの理論的な解析が進んでいないことだ。理論は“嘘をつく”が、注意して利用すれば有用である。AIの理論解析が進めば、人間の手によって、AIの性能を向上させることができるだろう。最近、理論物理における考え方をAIに応用し、理論的にディープラーニングを解析しようという動きがあり、筆者は注目している。

筆者は、AIと人間は対立するものではなく、互いを補完する関係だと捉えている。AIが自ら思考できない以上、AIのアルゴリズムは人間が与える必要があり、その意味でAIは完全に人間に依存している。一方、AIがビッグデータから導き出した解は、データドリブンなもので人類にとって大変有益なものである。

人間が考えたAIと、そのAIが生み出すデータドリブンなシステム、この2つが、車の両輪となって、これからの社会は進んでいくことだろう。その先には、「神聖な職業」を自認した医師を笑える時代が来ることを期待したいものである。

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