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[特集] VRが社会を変える

VR・ARがもたらす多様な変化

VR・ARが実現する、現実世界の物理法則にとらわれないバーチャル空間の構築や、現実環境の拡張。
これら技術の活用は、人の行動や生活、ビジネスシーンをどのように変えていくのだろうか。
先行事例からそのエッセンスを読み解く。

見えなかったものが見える

はるか昔に失われた文化財や史跡が目の前に現れる。地中内部の状態や地層の構造を、潜っているかのように見ることができる―。VR・AR技術によって、失われた風景や人が容易に訪れることのできない場所など、見えなかったものを見ることが可能になる。たとえば、資源開発において必要な地質情報をVR技術を使って3次元画像として可視化し、地下構造の全体像の把握や埋蔵量の評価のために活用する動きが国内外で始まっている。

観光分野での導入も進んでいる。近畿日本ツーリスト株式会社では、VRを活用したツアーの企画・開発に取り組んでおり、2015年2月に、現実の景観にCG映像を合成して再現した江戸城天守閣と江戸時代の日本橋界隈の様子を体感するツアーの実証実験を実施した。実証期間中、同ツアーには820名が参加した。

史跡の復元には多大なコストがかかるが、VR・ARによって当時の景観を再現し、臨場感のある体験を提供することができれば、新たな観光資源にもなる。復元考証の見直しや多言語化への対応も可能だ。しかし、屋外で大勢の人が同時にVRを視聴するという利用方法はこれまでになく、実施には数々の工夫が必要だったという。

デバイスは、実際の風景が透けて見える眼鏡型ウェアラブル端末(スマートグラス)を採用。安全性を考慮して、ツアー中はVRの視聴ポイントでスマートグラスを装着し立ち止まって視聴し、次のポイントに移動する間は外すというルールを設けた。運用面では、参加者全員に同時に映像を見てもらうため、添乗員がタブレットPCを操作して一斉にコンテンツを流す仕組みにした。

コンテンツに関しては、高品質なVR体験を追求することが目的ではないとの考えから、全ての映像をコストのかかるCGで作成する必要はないと割り切り、写真や各種史料を交えた構成としたという。

また、歴史に詳しい現地ガイドを同伴したり、説明動画をYouTubeで公開し、事前に見てもらう工夫もした。同社は、こうした細かな工夫や改善を重ね、蓄積したノウハウを活用して新たな企画を立ち上げている。

2015年4月に福岡城スマートグラスツアーを開始し、2016年には、青森県弘前市や世界文化遺産 富岡製糸場での実証を行うなど、自治体などと共同でVRを活用した地域観光の開発に取り組んでいる。そのほか、ロケツーリズム推進の一環として、映画の撮影に使用した島根県雲南市のオープンセットで、映画の世界観を体験できるスマートグラスガイドツアーを実施。公開前のプロモーション活動に役立てられている。将来は、ユニバーサルツーリズムにつながる可能性もあると同社 未来創造室 課長の波多野貞之氏は話す。「障がいなどの理由で旅行できない人がVRで旅行を疑似体験する商品ができれば、移動を提供してきた旅行会社のビジネスモデルが変わる可能性もある」。

残された課題はコストだ。史跡の復元より安価とはいえ、10万円前後のスマートグラスを50台揃え、数千万円のコンテンツを作るとなれば、自治体にとって負担は大きいだろう。しかし、さらに技術が進展してコストが下がり、VRの活用で“見える”ものが増えれば、旅のあり方や学習方法など、さまざまな分野に大きな変化が訪れるだろう。

図1
スマートグラスをかけると現れるCGの江戸城天守閣

“体験”して理解を深める

没入感の高いVRを使えば、非日常的な出来事や当事者以外にはわからない体験を、実際に自分に起きたことのように擬似体験することができる。こうした利用法が、教育や研修などの目的で広がり始めている。製薬企業のヤンセンファーマ株式会社は、統合失調症の急性期に見られる幻聴や幻覚などの症状を疑似体験できる疾患教育ツール「バーチャル ハルシネーション」を制作・公開している。2016年5月には、症状をよりリアルな形で疑似体験できる実写版VRを作成し、医療関係者の研修会などで活用している。また、疾患啓蒙サイト「統合失調症ナビ」を通じてこの動画を広く公開し、精神疾患への理解促進と社会的偏見の軽減を目指して取り組みを進めている。

防災分野でも、VRを利用して地震などの災害を疑似体験することで、防災教育に役立てていこうという取り組みが始まっている。国立研究開発法人防災科学技術研究所は、同研究所が所管する実大三次元震動破壊実験施設「E-ディフェンス」での実験映像とシミュレーション結果を融合した動画プログラムを作成し、地震発生時の室内の様子を体感することができるVR体験システムを開発した。ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を装着し、頭の動きに合わせて映像が再生される仕組みのため、高い臨場感と没入感のある疑似体験ができる。システムの開発にあたっては、同研究所が試験体内の撮影機材設置や同期信号提示システムの開発を担い、全方位映像生成やVR提示、体験ソフトウェアの開発をみずほ情報総研が担当した。

実験映像は、2015年11月~12月に撮影。震動台上に実物大の10階建て鉄筋コンクリート造建物を建て、阪神淡路大震災(震度6強)の地震波で加振することで、地震を再現するというものだ。最上階に撮影用の部屋を作り、耐震対策を施した家具と未対策の家具を左右対称に設置して、被害状況の差異がわかるようにした。実現象を精緻に記録し、臨場感のある映像体験を提供するため、高画質(4K)な映像が撮影できるウェアラブルカメラを6台使用し、撮影したデータをマッピングして全方位映像を作成。各画像ファイルの時間を手作業で調整するなど、映像データの生成には非常に手間がかかったという。

こうして、実現象に即した地震の被害状況が体感できるコンテンツが完成。2016年6月に大阪で開催された第3回「震災対策技術展」で初公開された。同研究所 地震減災実験研究部門 主任研究員の山下拓三氏は、「329名に体験していただき、実際の地震がイメージできた、耐震対策をしようと思ったといったアンケート結果が得られた」と話す。

また、実験映像の撮影時には、Kinectを使って試験的に3次元データも取得。まだ研究段階だが、震災時の被害に関する数値データと融合することで、任意の視点からの映像を再生したり、任意の位置に家具を配置して室内の地震被害を推定するなどのシミュレーションが可能になるという。さらに、加速度センサーによる振動データも取得しており、「将来的には視覚だけでなく、揺れも一緒に体感できる『地震時被害体験システム』を構築したいと考えている」と同部門長で兵庫耐震工学研究センター長の梶原浩一氏は述べる。

一方で、防災教育という啓発を目的とした利用の場合、体験システムとしてどこまでリアルに作り込むかについては、安全面への配慮等の理由から慎重に検討する必要がある。そのため、同研究所では今後、大学など他の研究機関の研究者と協力し、映像と揺れの両方に関して、人が臨場感や恐怖を覚える擬似体験の作り込みのレベルや、人に与える心理的な影響に関する研究を行っていく予定だという。

現象や状況をリアルに体感させるVRは、意識や行動の変容につなげることができる可能性がある。今後、教育や研修に欠かせないツールになることは間違いないだろう。

図2
E-ディフェンスでの実験映像・データ取得の様子
建物試験体(左)、家具の設置の様子(右)

物理的な距離を超える

臨場感のあるVR体験は、離れた場所にある物や空間を、まるで目の前にあるかのように感じさせる。

時間や距離の制約を超えるツールとしてVRを活用しているのが不動産業だ。賃貸物件を探す場合、顧客は多くの物件情報をWebサイトや店舗で確認し、複数の物件を内見する流れが一般的だが、VRで物件のイメージを掴むことができれば、候補物件の絞り込みをより詳細に行うことができる。これは顧客側には物件選びの効率化を、企業側には営業費用のコスト削減という利点をもたらす。

中でも、HMDを利用した本格的な営業ツールとしてVRを活用しているのが三菱地所グループだ。VR導入の狙いは、遠隔地の顧客が移動することなく物件の内覧を行える点だという。同グループでは、2015年10月に関西圏の分譲マンションのモデルルーム物件に関して、室内にいるかのように没入体験できるVR内覧サービスを開始した。複数回に分けて撮影した画像をつないで高精細なパノラマ画像を作成し、同グループが都内で運営する「レジデンス ラウンジ」や海外の販売会などで披露し、好評を得たという。「海外でのインバウンド向けの販売会では、その場でモデルルームの見学予約が入るなど、現地に行って実物を見たいという訪問意欲を喚起できた」と三菱地所株式会社 住宅業務企画部 兼 新事業創造部 副主事の橘 嘉宏氏は話す。

2016年1月には、三菱地所ホームが運営する全国19カ所のホームギャラリー(モデルハウス)の室内空間をVR画像で視聴できるサービスを開始した。デザインの自由度が高い注文住宅の場合、さまざまなプランをVRで見せることで、顧客はより具体的なイメージを持って検討することができる。「VR営業ツールの導入により、お客さまが複数のホームギャラリーを訪れる時間的負荷が軽減されるだけでなく、天井の高さなどのスケール感やインテリアの雰囲気を実感してもらうことができる」(橘氏)。

また、未竣工の物件をリアルに体感してもらうためのVRの活用も進めており、開発中のオフィスビルのエントランスCGや眺望写真などからVR素材を作成し、テナント誘致などに活用している。今後は、首都圏にあるマンション物件を網羅的にVRコンテンツ化することを検討中だという。

HMDには、軽量で持ち運びしやすいことから、スマートフォンをはめ込んで視聴する「Galaxy Gear VR」を採用。コンテンツは、CGと比べ制作コストが抑えられることなどから、モデルルームや現物があるものは写真を基に作成している。そのため、部屋の中を移動するようなことはできないが上下左右を見回すことはできるため、イメージを伝えるには十分だと考えているという。営業スタッフは、タブレット端末で顧客がどこを見ているか確認できるため、天井高などの詳細情報を付加しながら説明することができる。

今後の課題は効果測定だ。VRが実際の販売に与えた影響を定量的に測定することは難しい。同社は今後、VRのみで物件を販売するような営業拠点を試験的に設け、成約まで到達する可能性を検証したいという。

技術が進化すれば、VR空間の臨場感は増し、現実空間の体験とほぼ同じになるだろう。そうなれば、何かを体験することに関して、物理的な距離は問題にならなくなる。「移動」という行為の必要性が改めて問い直される可能性もあるだろう。

図3
Galaxy Gear VR(左)、三菱地所が提供している注文住宅のVR内覧サービス(右)

行動を適切に誘導し支援する

不慣れな作業や複雑な作業を行う際、目の前の風景に機器の位置を示す印や手順などの情報が重なって見えれば、安心して作業を進めることができるだろう。メーカーやインフラ企業などでは、こうした作業支援としてのAR技術の導入が始まっている。

株式会社日立製作所では、ARを活用した複数の製品を開発している。同社が開発したクラウド型の機器保守・設備管理サービス「Doctor Cloud」は、モバイル端末のカメラを設備に向けると、点検の対象設備に設置されたARマーカーを読み取って、端末上で現実の画像に操作すべき箇所や作業内容を重ね合わせて表示し、作業手順をナビゲーションするシステムだ。また、カメラを搭載したHMDの映像を熟練技術者が見て、音声やディスプレイへの表示により作業員に指示を行う遠隔作業支援の仕組みも構築した。視野を妨げず、使用しない時はヘルメットの上にはね上げることができるシースルー片目タイプのHMDも開発した。

システム導入の目的は、点検漏れや作業ミスなどのヒューマンエラーの防止や、熟練者のノウハウの可視化・共有など、設備を止めず連続的に運用することだ。熟練者が少ない海外拠点では、教育ツールとしても機能しているという。また、「災害時の緊急対応などの作業の場合も、ARによる作業支援があれば、誰でも高度な作業を行うことができる」と同社 産業・水業務統括本部 企画本部 サービス事業推進室室長の羽富修氏は述べる。

2016年4月からは、水資源機構 琵琶湖開発総合管理所がDoctor Cloudを採用。今後は、「システムに蓄積された作業記録を解析し、熟練者の技術の分析や予兆診断にもつなげたい」(羽富氏)という。

また同社は、中部電力と共同で、電柱などの配電設備の巡視点検に使用する「ARを用いた設備保守支援技術」の開発に取り組んでいる。目視点検による判断のばらつきを抑え、点検を効率化するシステムの実現を目指して、まずは点検作業者への教育・研修で有効性を検証している。

研修では、電柱に設置された多種多様な機器に関する理解と、異常箇所を発見する訓練が行われている。そこで、モバイル端末のカメラをかざすと各機器の解説情報がARで表示される仕組みを構築。画像認識と設備の位置情報、端末に搭載されているセンサー情報などを組み合わせてAR表示の位置合わせを行う「マーカーレスAR」という手法を採用した。実際の機器に情報を紐付けながら学習できるため、理解が深まるという。異常箇所の発見訓練では、異常があると思われる箇所を端末のカメラで撮影して異常の内容を解答すると、正解データと照合し、正誤判定が行われる。将来的には実際の保守点検業務にも応用したい考えだ。

ARやHMDを実際の業務に適用する場合、画像や実際の風景の見やすさなどの使い勝手が問われる。共同開発に携わる同社 東京社会イノベーション協創センタ 顧客協創プロジェクト 研究員の弓部良樹氏は、「ARはあくまでも情報を表示するための技術であり、表示する情報の価値にこそ留意すべきだ」と述べる。

実務でのAR利用が進むことでこうしたノウハウは蓄積され、新たなシステムに活用されていくだろう。今後は、IoTやAIなど情報収集・解析技術と連携して、最適な情報を最適な時に表示する仕組み作りが期待される。


図4
Doctor Cloudのモバイル端末とHMD

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