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社会動向レポート

わが国の一般病床数の推移とその背景(1/2)

社会政策コンサルティング部 研究主幹 仁科 幸一

わが国が敗戦の混乱から脱したといわれる1955年から2015年までの一般病床数(一般病床と療養病床)の推移をみると、1980年代までは、実数ベースで5か年あたり15~20万床のペースで増加し続けた。この背景には、国民皆保険の実現や患者負担の縮減による医療へのアクセシビリティの改善がある。一方、1990年代以降の減少傾向の背景には医療法に基づく病床規制がある。

はじめに

過去の病床数の動向を振り返り、その背景をさぐることが本稿の目的である。なお、本稿の分析の対象とする病床は、一般病床及び療養病床とし、本稿では一般病床と総称する(1)

1.一般病床は1980年代まで増加し続けた

わが国の経済が敗戦の混乱から脱したといわれる1955年の一般病床数は、全国で31万床であった。その後、1955~60年に15万床(49%)、1960~65年に18万床(38%)、1965~70年には20万床(32%)増加している。その結果、1955~65年の10年間で病床数は65万床と倍増、1955~70年の15年間で病床数は85万床と3倍弱に増加した。

1970~75年の増加は13万床(16%)といったんペースが鈍化するも、1975~80年は20万床(20%)と、実数ベースで1960年代に比肩しうる増加を示した。以降も、1980~85年は18万床(15%)、1985~90年は16万床(12%)増加した。このように、1980年代後半まで5か年ごとに15万~20万床のペースで一般病床は増加し続けたのである。

ところが、1990年以降は、一転して一般病床数は微減傾向に転じる。1990~95年は1万床の減(-1%)、1995~00年は3万床の減(-2%)、2000年~05年は5万床の減(-3%)、2005~10年は6万床の減(-4%)、2010~15年は4万床の減(-3%)となっており、そのテンポは徐々に加速している。

図表1 わが国の一般病床数の推移
図表1
(資料)医療施設調査・病院報告
※1955年から1970年は沖縄県(本土復帰前)を除く

2.一般病床数の変化と医療政策

(1)1980年代までは医療基盤の整備と量的拡充の時代であった

平成19年版厚生労働白書(副題:医療構造改革の目指すもの)では、1985年までを「医療基盤の整備と量的拡充の時代」、1985年から1994年までを「医療提供体制の見直しの時代」、(多少オーバーラップしているが)1992年以降を「機能分化と患者の視点に立った医療提供体制の整備の時代」ととらえている。1980年代までの病床急増期は文字通り「医療基盤の整備と量的拡充の時代」だった。

(2) 1960~70年代に医療への経済的アクセシビリティが急速に向上した

医療サービスへのアクセシビリティに、患者の経済的負担が大きな影響を与えることはいうまでもない。国民皆保険の確立は大きな転換点であったが、以降の保険診療における患者負担の軽減の影響も大きい。

[1] 国民皆保険の確立

国民皆保険とは、全国民を何らかの公的医療保険(健康保険)に加入させる制度をいう。国民皆保険実現当時の健康保険は、被用者保険と国民健康保険に大別される。被用者を対象とする健康保険法の制定は1927年、農林水産業や個人商店などの自営業者や零細事業所の被用者を対象とする国民健康保険法の制定は1938年である。以降、健康保険の加入者は徐々に拡大したが、1956年度末時点の加入者は人口の約7割にとどまっていた。

厚生省は、国民皆保険制度の確立に向け、1958年に市町村に国民健康保険の実施を義務付けるとともに、療養給付の国庫補助制度を強化するなどの制度改正を行い、1961年に国民皆保険の実現に至った。しかし、健康保険制度は整備されたものの、山間地域や離島などでは医療施設の整備が追いつかず、「保険あって医療なし」という状況がみられた(2)。これに対して、医療施設整備に公的資金が投入され、その整備が進められた。

図表2 国民皆保険スタート時の健康保険
図表2
(資料)「厚生の指標増刊保険と年金の動向2017/2018」厚生労働統計協会などより筆者作成
※上記のほかに、日雇健康保険、福祉制度に位置づけられる生活保護(医療扶助)がある。

[2] 患者負担率の低下

現在、受診時の患者負担率は、加入する健康保険の種類に関わらず、高齢者以外は原則として3割(3)に統一されているが、かつては制度ごとに異なっていた。

1961年の時点で、国民健康保険(国保)では一律5割負担、被用者保険では本人無料(家族5割)であった。その後、国保では1963年に世帯主が3割、1968年には家族(被扶養者)も3割に患者負担率が引き下げられている。被用者保険については、1967年に本人ついて定額負担(4)が導入されて患者負担が引き上げられた一方で、家族は1973年に3割、1981年には入院が2割に引き下げられた(外来は従来どおり3割)。また、高額療養費制度(5)の導入も、医療サービスへの経済的なアクセシビリティの向上に寄与した。

以上のように、1960年代から1980年代初頭まで、国民健康保険と被用者保険はほぼ一貫して患者負担率が低下するように改正されてきた。後述の老人医療無料化以前は、高齢者のほとんどは国民健康保険または被用者保険の家族として保険給付を受けていたため、特に60年代の家族の患者負担率の軽減は、高齢者の入院医療需要に影響を与えたとみられる。

図表3 国民健康保険と被用者保険の患者負担率の推移
図表3
(資料)「厚生の指標増刊保険と年金の動向2017/2018」厚生労働統計協会などより筆者作成
※外来の薬剤一部患者負担は省略
※※入院のみ(外来は従来どおり3割)

[3] 老人医療費の無料化(老人医療費支給制度)

患者負担率縮減の究極の形態が無料化である。わが国では1973年に高齢者医療費を対象に制度化された。

1960年代後半は、物価の高騰や公害問題など、急速な経済成長に伴う社会的矛盾が顕在化した時期である。急速な経済成長がもたらす物価や地価の高騰、公害、交通戦争とも称された交通事故の増加など、人口が急増した大都市圏を中心に、さまざまな社会問題が顕在化した。一方、中山間地域や離島地域では、若年層の人口流出によって農林水産漁業などの地域産業の継続が困難になるとともに、独居・高齢者のみ世帯が増加するといった現象が広がった。

医療に関しては、大都市周辺部では急激な人口移動に医療施設の整備が追いつかず、夜間の救急を中心に「医療砂漠」とまでいわれる状況が生じていた。一方、中山間地域や離島地域では、従来では多世代世帯が担っていた高齢者の保護機能が低下し、これが医療施設での社会的入院(6)に結びつき始めていた。

こうした社会状況を背景として、大都市圏ではいわゆる革新知事・市長が相次いで誕生し、国政の場でも保革伯仲の状況が生じた。このような中で、老人医療費の無料化が導入された。

老人医療費の無料化とは、高齢者について受診時の自己負担を全額無料ないし一定割合を補助するというものである。この政策は地方自治体によって先行して実施された。図表4に示すように、1971年8月時点で完全無料化を実現した都道府県・政令指定都市は4都県2政令指定都市であり、必ずしも多数派とはいえない。その他の道府県・政令指定都市では、補助水準、対象者の年齢要件や所得要件は多様であったが、地方の判断と財源負担によって実施されたことの政治的インパクトは大きかった。

このような動向に時の政権与党は危機感を募らせ、急速に高齢者医療費の無料化に舵を切り、1973年1月から老人医療費支給制度の給付がスタートした。老人医療費支給制度は、老人福祉施策の一環として、70歳以上(7)の国保被保険者と被用者保険の家族を対象に健康保険の患者負担の全額を給付するもので、国が2/3、都道府県と市町村がそれぞれ1/6の費用を負担した。

老人医療費の無料化が実施された背景として見逃してはならないことが2点ある。

第1は、当時の高齢者の経済環境である。1961年の国民年金制度のスタート時点で50歳以上(8)であって所得が基準を下回る者については、70歳から、救済措置として老齢福祉年金が給付された。その給付額は1961年時点で月額1,000円(9)であった。当時は、現在の高齢者とは比較にならないほど年金所得額が低く、経済的自立の困難な高齢者が多く存在していた。

第2は、高齢者人口が現在に比べて少なかったことである。70歳以上人口は、老人医療費支給制度がスタートして2年後の1975年時点では542万人(対総人口比4.8%)であったが、2015年には2,382万人(18.7%)に達している。老人医療費の無料化は、当時の高齢者人口であればこそ可能だった政策選択であった。

ともあれ、老人医療費の無料化によって、高齢者の医療サービスへの経済的なアクセシビリティは飛躍的に高まった。しかしこれによって、外来にあっては医療機関の高齢者のサロン化(10)、入院にあっては社会的入院の増加を招来した。その結果、1981年度には老人医療費は1973年度のおよそ5倍に膨張した。

老人医療費無料化がスタートした1973年の10月、第4次中東戦争に端を発する第一次石油危機が発生した。わが国はきびしい不況に見舞われ、1975年度以降、赤字国債の発行が常態化した。こうした状況の中で、財政制約から老人医療無料化の見直しは喫緊の課題となったが、保革伯仲の国会情勢下でこれを実現することは容易ではなかった。

図表4 都道府県・政令指定都市の高齢者医療費補助制度(1971年8月時点)
図表4
(資料)近藤文二「老人福祉対策の方向」(生命保険文化研究所報)(1971年12月)より作成

[4] 老人保健制度の創設により高齢者の経済的アクセシビリティは減速した

1980年の総選挙で与党が安定多数を確保した政治情勢を背景に、1983年2月にスタートしたのが老人保健制度である。これは、高齢者の健康増進と医療給付を総合的に推進することを目的としたものであり、患者負担については定額負担が導入された。患者負担額はその後数次にわたって引き上げられ、2002年10月に定率負担制(1割)(11)となった。

老人保健制度の創設によって老人医療費無料化政策は終焉をむかえたが、制度スタート時点の患者負担額は、外来1カ月400円・入院1日300円というものだった。この負担額をどう受け止めるかは議論が分かれるところであるが、老人医療費無料化以前である1972年当時の家族負担率(国保3割、被用者保険5割)と比較して低い水準にとどめられたといえる。

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