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技術動向レポート

量子コンピュータの金融分野への適用の見通し(2/2)

サイエンスソリューション部 チーフコンサルタント 宇野 隼平

3.金融分野への適用の見通し

このように、国内外の企業、研究機関が盛り上がりを見せている量子コンピュータ業界であるが、現在までのところ発表されている量子コンピュータはビット数が少なく、またビットの量子状態を保つことが困難であることに起因するノイズが大きいため、実用的なアプリケーションはまだ見つかっていない。以下、本稿では、大規模な量子コンピュータが将来的に実現された場合における金融業界への適用の見通しについて紹介する。

(1)金融商品の価格決定及びリスク評価

金融派生商品の価格決定や、資産リスク評価指標であるValue at Risk等の算出の際にモンテカルロ法が広く使用されており、様々な未来にありうるシナリオを計算機上で生成し、各シナリオにおいて評価した金融商品や資産価値の結果を処理することで、計算を行っている。モンテカルロ法を用いた計算で正確な値を得るためには非常に多くのシナリオを考慮する必要があり、多くの計算機資源が必要となるため、ゲート式の量子コンピュータによる高速化が期待されている。

近年、現在モンテカルロ法が使用されているような計算に対して、量子コンピュータのビットの重ね合わせを利用した計算手法が提案された(12)(13)。量子コンピュータでは、ビットの重ね合わせによる複数のシナリオの同時計算を行うことが可能なため、従来のコンピュータのモンテカルロ法よりも高速に計算を行うことができる可能性がある。現在までのところ、量子コンピュータでのモンテカルロ計算は単純なモデルでの検証計算のみが実施されているだけであり(13)、従来のコンピュータより高速に計算しているとまでは言い難いが、将来的に非常に大規模な量子コンピュータが実現されれば、高速な計算が可能になることが期待される。

(2)暗号解読によるリスク

量子コンピュータを用いた最も重要な影響の一つとして、暗号に関するセキュリティ面の影響が挙げられる。

現在、ネットバンキングなどのインターネットを通じた通信において、第三者による情報の盗聴や改ざんを防ぎ情報の秘匿性を保つために暗号技術は欠かせない技術である。暗号技術を使用した通信では、送信者が暗号化鍵を使用して情報を暗号化し、受信者が復号鍵を使用して情報の復号を行う。暗号技術は、大まかに分類すると、鍵の性質により、共通鍵暗号方式と公開鍵暗号方式に分類される。

共通鍵暗号方式は暗号化鍵と復号鍵として同一のものを使用する暗号技術である。共通の鍵を使用するため、送信者と受信者で鍵を事前に共有するための何らかの方法が必要である。

公開鍵暗号方式は、暗号化鍵と復号鍵が異なるものを使用する暗号技術である。情報の受信者は暗号化鍵を公開し、送信者は公開された暗号化鍵を使用して情報を暗号化し送信する。第三者は、暗号化鍵を入手することは可能であるが、復号鍵を入手しない限り情報を盗聴、改ざんすることは事実上不可能であるとされている。 公開鍵暗号方式の多くは、素因数分解問題や離散対数問題等の問題を解くことが、従来のコンピュータでは困難であることに基づいているが、ゲート方式の量子コンピュータを用いることで、これらの問題を指数関数的に高速に計算できることが示唆されている(14)(15)。このため、もし大規模な量子コンピュータが実現されれば、現在使用されている公開鍵暗号の大部分が安全でなくなる可能性がある。

近年の量子コンピュータの急速な発展状況を受けて、米国国家安全保障局(NSA)により2015年8月に量子コンピュータの脅威に対する懸念が示されており(16)、また米国国立標準技術研究所(NIST)では、耐量子暗号の標準化に向けた活動が行われている(17)

現在公開鍵暗号としているRSA等の暗号を解くためには、数万から数十億の量子ビットが必要であると見積もられており(18)(19)、直ぐに公開鍵暗号が解読されるというわけではないが、2030年頃までに暗号が解けるような量子コンピュータが実現するという見積もりもあり(20)、また比較的少ない量子ビット数で素因数分解を実現するようなアルゴリズムも提案されてきている(21)(22)

システムの大規模な入れ替えには、計画から実装まで数年から十年程度の期間を要すると考えられるため、専門家からの情報収集等により動向を把握するとともに、予めシステムの更新に関する検討を行うことも重要であると考えられる。

(3)資産の組み合わせの最適化

金融分野においても、イジング型の量子コンピュータを用いて計算可能なような最適化問題の例がいくつか提案されている。例えば、D-Waveの量子コンピュータを用いて、比較的単純な例ではあるが、利益を最大化するように資産を組み合わせ、ポートフォリオの最適化を行った例が報告されている(23)。また、異なる市場での商品価格差を利用して利益を挙げる裁定機会の問題に関しても、D-Waveの量子コンピュータを使用した例が報告されている(24)

一方で、量子イジング型のコンピュータでは、イジングモデルと呼ばれる特殊な型の問題に最適化問題を落とし込まなければいけないこと、ビット数が少なく離散的な変数に関する最適化問題しか解くことが出来ないことから、まだ現実的に適用可能な問題は見つかっておらず、引き続きハードウェアの発展に注視するとともに、適用可能な問題の検討を行っていく必要がある。

4.結び

量子コンピュータは10年ほど前まで、数ビットを使った計算を行うのがやっとの状況だったのに対して、ここに来てゲート方式では数十ビット、イジング方式では数千ビットを扱うことが出来るようになってきている。扱えるビット数が急速に増加している状況に伴い、世間からの注目が大きくなることで、更に開発競争が激化しビット数の増加につながる可能性もある。

現在のビット数では、まだ現実的なアプリケーションを見つけるのは難しいかも知れないが、急速に発展している量子コンピュータに触れてみて、今後、大規模な量子コンピュータが実現された場合に実現できそうなことについて見極めておくのは重要であると考えられる。引き続き量子コンピュータの急速な発展が続くとともに、多くの人が量子コンピュータにふれることで、本稿の想定よりも遥かに広い範囲に量子コンピュータが適用されていくことを期待したい。

  1. (1)IBMホームページ
    https://www-03.ibm.com/press/us/en/pressrelease/53374.wss
  2. (2)intelホームページ
    https://newsroom.intel.com/news/intel-advances-quantum-neuromorphic-computing-research/
  3. (3)Google AIホームページ
    https://ai.googleblog.com/2018/03/a-preview-of-bristlecone-googles-new.html
  4. (4)D-Waveホームページ
    https://newsroom.intel.com/news/intel-advances-quantum-neuromorphic-computing-research/
  5. (5)もう少し詳しく言うと、量子コンピュータでは、最終的には重ね合わさったデータの内の一つしか読み出すことが出来ないため、目的とするデータを得るためには、量子の干渉の性質を用いて、誤った結果を示すデータを相殺する必要がある。多くの問題では相殺する方法は非自明であり、このため、任意の並列計算可能な問題に量子コンピュータが適用可能というわけではない。
  6. (6)QUANTUM COMPUTING REPORTホームページ
    https://newsroom.intel.com/news/intel-advances-quantum-neuromorphic-computing-research/
  7. (7)QUANTUM COMPUTING REPORTホームページ
    https://quantumcomputingreport.com/resources/tools/
  8. (8)慶應義塾大学ホームページ
    https://www.keio.ac.jp/ja/news/2018/5/22/27-44149/
  9. (9)IBMホームページ
    https://www.ibm.com/think/jp-ja/business/research-frontiers-institute/
  10. (10)大阪大学ホームページ
    http://otri.osaka-u.ac.jp/images/pressrelease180701.pdf(PDF/389KB)
  11. (11)東北大学ホームページ
    https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2018/07/press20180719-01-renkei.html
  12. (12)P. Rebentrost, B. Gupt, and T. R. Bromley 「Quantum computational finance: Monte Carlo pricing of financial derivatives」Phys. Rev. A 98,022321(2018年)
  13. (13)S. Woerner and D. J. Egger「Quantum Risk Analysis」arXiv:1806.06893(2018年)
  14. (14)P. W. Shor「Polynomial-time algorithms for prime factorization and discrete logarithms on a quantum computer」SIAM Journal of Computing,volume 26, no 5, pp. 1484-1509(1997年)
  15. (15)P. W. Shor「Algorithms for Quantum Computation:Discrete Logarithms and Factoring」IEEE Computer Society Press, pp. 124?134(1994年).
  16. (16)Neal Koblitz and Alfred J. Menezes「A riddle wrapped in an enigma」
    http://eprint.iacr.org/2015/1018.pdf(PDF/223KB)(2015年)
  17. (17)NIST ホームページ
    https://csrc.nist.gov/projects/post-quantum-cryptography
  18. (18)T. Kleinjung, K. Aoki, J. Franke, A. Lenstra, E.Thome, J. Bos, P. Gaudry, A. Kruppa, P.Montgomery, D. Osvik, H. te Riele, A. Timofeev,and P. Zimmermann「Factorization of a 768-bITRSA modulus」CRYPTO’10, pp.333-350(2010年)
  19. (19)A. Fowler, M. Mariantoni, J. Martinis, and A.Cleland「Surface codes: Towards practical largescale quantum computation」Phys. Rev.A,86:032324(2012年)
  20. (20)NISTホームページ
    https://csrc.nist.gov/csrc/media/publications/nistir/8105/final/documents/nistir_8105_draft.pdf(PDF/581KB)
  21. (21)E. Martin-Lopez, A. Laing, T. Lawson, R. Alvarez, X. Q. Zhou, and J. L. O’brien「Experimental realization of Shor’s quantum factoring algorithm using qubITrecycling」Nature Photonics 6, 773(2012年)
  22. (22)Eric R. Anschuetz, Jonathan P. Olson, Alan Aspuru-Guzik, Yudong Cao「Variational Quantum Factoring」arXiv:1808.08927(2018年)
  23. (23)G. Rosenberg, P. Haghnegahdar, P. Goddard, P. Carr, K.Wu, and M. L. de Prado「Solving the Optimal Trading Trajectory Problem Using a Quantum Annealer」IEEE Journal of Selected Topics in Signal Processing 10, 1053(2016年)
  24. (24)Gili Rosenberg「Finding Optimal Arbitrage Opportunities Using a Quantum Annealer」
    https://1qbit.com/whitepaper/arbitrage/(2016年)
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